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12    母と姉の陳述書【飲酒運転車両により卒業式前日に死亡した被害者】
 
 
 
【母の陳述書】 裁判所に提出
 
 
  私は本件交通事故により、大切な命をなくした娘の母親です。
  3月13日、私にとって信じられない恐ろしいことがおこりました。娘の帰りを待つ私のもとに警察からの電話が入り、必死の思いで大学病院に行きました。救急車で運ばれてきた娘のあまりにもひどい姿に私は呼びかけてあげることもできませんでした。
  そして、5時間後、命の灯が絶たれてしまいました。20歳の人生でした。私の大切な、命よりも大切な宝物が奪われてしまったのです。
 
  娘は元気で明るく笑顔に満ちあふれ、たくさんの人たちにかわいがられ、動物や植物、命あるものすべてを大切にする優しい性格で、子犬、子猫、傷ついた鳥など何度も家に持ち帰るような子でした。友達、家族を思いやり、物事を冷静に判断できる子でした。スポーツ好きで、また、絵を描いたり、音楽を聴いたり、いろんなことに興味を持ち一生懸命に生きていました。美容学校に行ってからは得意分野で頑張り、日本ネイル技術学生大会で優秀賞、校内コンテストでもヘアメイク、ネイルなどに入賞し、FM同好会に入ったり、文化祭ではショーの舞台に立ち、後夜祭では進行役をしたり、その日々は輝き、未来への自信となっていました。それは、国家試験、就職試験を目指しての頑張り、意気込みにも現れていました。
 
  しかし、楽しみにしていた卒業式、謝恩会にも出席できず、合格通知も採用通知も見ることができなかったのです。本当に残念で無念でかわいそうでなりません。
 
  私と娘はいつも寄り添って生きてきました。二人でお腹がよじれるほど笑い、いろんな話をし、買い物をしたり、食事をしたり、映画を見たり、家には、毎日のように友達が訪ねてきて、楽しい毎日でした。
 
  娘がいなくなってからの私は、深い絶望感、喪失感、虚脱感、恐怖、不眠などが続き、一年以上過ぎた今も、精神安定剤、睡眠剤に頼る毎日です。一日に何度も涙があふれ、喉の奥や胸が熱く燃えるような苦しみに襲われます。暗闇の中をもがき苦しみ続けているのです。そして、たった一人の妹を奪われてしまった長女も私と同じように深い悲しみと苦しみの中で生きています。この苦しみはきっと私たちの生きている限り続くでしょう。悲しみが体の一部となって続いていくでしょう。娘に会いたい。声が聞きたい。抱きしめたい。ずっと、ずっと思っていくでしょう。
 
  加害者は、3月末に退院したにもかかわらず、謝罪に来ることもなく、5月には仕事をしていると聞きました。しかし、謝罪に来るのは、母親ばかりで、加害者が来たのは事故から2ケ月以上もすぎてからでした。40歳をすぎた大人が親まかせにし、責任のがれをしているようにしか思えません。そして、加害者の母親は、同じ子を持つ母親をして考えられないような言動、行動で私たち家族をさらに悲しくさせました。
 
  私は弱った体に鞭打って、目撃者を捜し、加害者がどのような運転をしていたのか、事実を確かめました。スピードを出し、前の車をあおり、信号停止中にはまだ信号が変わっていないにもかかわらず、前の車を追い越し猛スピードで走り去ったというのです。その運転はまわりの誰もが危険であり、事故を起こすのではないかと思ったそうです。あげくに見通しの悪いカーブで、追い越し禁止区間である場所で追い越しをし、反対車線に飛び出し事故を起こしたのです。後には飲酒運転という事実まで知りました。
 
  突然、目の前に大きな車が現れた瞬間の恐怖、車に挟まれ、1時間以上も絶えた寒さと苦痛、みんなに二度と会えない淋しさ、そして、自分の夢に向かって生きる事が出来なかったくやしさ。悔いのない人生を送ることができなかった無念。
 
  女性として生まれ、花嫁になることも母になることも出来ずに終わった人生。娘の残したノートに「私が思う幸せって、クイのない人生を送ることだと思う。たった一度だけの道だから好きにいけばいい。それで苦労できるんだったら最高!」とかかれたメモを見つけました。「悔しいよな。いっぱい悔いがのこっとるよな。」と思わずにはいられません。
 
  私は交通規則をまったく無視した無謀極まりない身勝手な運転をし、車を凶器にかえた被告人を絶対に許せません。運転の常識や、認識ができないような人間にはハンドルを握ってほしくありません。これ以上、何の罪もない人が悲しみ苦しむことは許されません。
 
  かけがえのない人生を奪われた娘本人とさまざまな絆を断ち切られた人たちの強い願いです。被告人を厳罰の実刑に処してください。どうかお願い致します。
 
 
 
 
【姉の陳述書】 裁判所に提出
 
 
  私の大切な妹がいなくなって、一年が過ぎました。暖かな春がやって来ても私たち遺族の心は暗闇の中をさまよっています。なぜ、妹が死ななくてはいけなかったのか。なぜ、妹が事故の被害者にならなければいけなかったのか。妹を想い、妹の無念さを想い、そして、何より妹にもう二度と会えないという苦しみと私たちは戦っています。
 
  私の妹は、明るく、そして、とても心の優しい子でした。笑顔が耐えず、いつも笑っていて、そんな妹の周りにはたくさんの友だちがいました。妹の話す話や妹の話題で私たち家族はいつも笑っていられたのです。妹は母や私にとってかけがえのない、かけてはならない存在なのです。
 
  妹の亡くなった翌日、3月14日は、妹が二年間通った「理容美容専門学校」の卒業式でした。二年間、学業に専念し、毎日楽しく通っていた専門学校の卒業式を妹は何より楽しみにしていたようです。妹が亡くなったという凶報をうけ、私は、妹の卒業証書をこの手で受け取り、直接、妹へ渡してあげたいと強く思いました。そして、妹の代わりに卒業式に出席しました。
 
  卒業生のほとんどが、その当日に妹の死を聞かされたため、驚きと涙で、門出を祝う卒業式とはかけ離れたものでした。妹の名前が呼ばれた時に、会場はすすり泣きと悲しみの渦でいっぱいになりました。精一杯の力で、私は、返事をし、壇上に上がり、妹の代わりに卒業証書を受け取りました。そして、冷たくなった妹の手に直接、渡しました。自分の手で受け取るはずの卒業証書を。第二の人生を歩むはずの妹に、卒業式と同日に行われたお通夜の日に、就職の合格通知が、3月31日には、美容師の国家試験の合格通知が届きました。どんなに妹は喜んだことでしょう。合格通知を自分の手に取り、「やったー」と喜ぶ妹の姿が目に浮かびます。
 
  なぜ、妹は死んでしまったのか。私たち遺族は、事故の事実を葬儀の直前に新聞で初めて知りました。カーブにもかかわらず、追い越しをかけた加害者車両と妹の乗った車が正面衝突したと。苦しかったです。悲しかったです。怒りと共に何も悪くなかった妹が、どうして、と心が破れてしまいそうでした。
 
  加害者の身内が、謝罪に来ましたが、その内容は、言い訳や、時には、自分勝手な言い分であり、謝罪をしにきているとは思えないほどでした。遺族の気持ちも考えないような言動や行動は、謝罪とは言えません。私たちがどんな苦しみを背負っているのか分かるはずもないけれど、私は、許しがたいものだと思います。
 
  卒業式の準備を楽しみに、家に向かう途中、前から大きな車が自分の目の前に飛び出してくる。どんなに怖く、どんなに痛かったでしょう。雪の降る寒い中で、息絶えながらも必死に生きようとしていた、そして、あんなにひどい状態でありながら、事故発生から5時間も妹はがんばりました。妹の痛さや苦しさを思うと、妹の悲しさや無念さを思うと、くやしくて、苦しくて、言葉が出てきません。あの日、加害者が、無謀な運転さえしていなければ、カーブなのに追い越しさえしていなければ、妹は、生きていました。妹は、今、美容師になるという夢を叶え、第二の人生を桜花していたはずです。
 
  返してください。私の最愛の妹を返してください。母の言葉、妹を抱きしめながら、言った言葉、「私の娘を取らないで。奪わないで。」母のあの声、必死に妹を取られないように、棺にしがみつき、泣きわめいている母の姿、決して、忘れられません。
 
  母や私、そして何より妹の人生をめちゃくちゃにした加害者を、私は、絶対に許しません。急いでいたからといって、スピードを出し、追い越し禁止区間で追い越しをかけ、関係のない人の命を奪った加害者を決して許しません。更に、加害者が飲酒をしていたという事実を後に知りました。こんな事があっていいのでしょうか。私は、妹を奪った加害者を、絶対に許すことはできません。絶対に。
 
  妹の生きた二十年間、これから生きていくはずの妹の人生、奪われた命の大きさ、どんな代償もありません。防ぎようのあったこの交通事故は、加害者の無謀飲酒運転によって引き起こされました。償いきれない罪を償うためにも、加害者を実刑に処してください。妹の奪われてしまった短い人生の代償があるならば、執行猶予をつけず、加害者を実刑に処してください。私の嘆願です。妹のために、どうか、正しい判断をお願い致します。
 
(以上,承諾を得て掲載しています。)
 
 
弁護士 喜多正達:2008/10/26
 

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