ホーム


1    陳述書
 
 
 
娘の僅かな命の鼓動
 
房美の父
 
 
【退職願】 平成11年1月19日 勤務先に提出
 
私儀,一身上の都合により,平成11年1月20日をもって退職させていただきたくお願い申し上げます。29年間の御薫陶を心より感謝申し上げますと共に皆様の御健勝をお祈り申し上げます。
 
 
【手 紙】 平成11年1月19日 勤務先代表者宛
 
前略,妻および長女のことで大変御迷惑をお掛けして申し訳ございません。昨年9月19日妻が一年間の闘病の末他界し,また長女房美が10月19日の交通事故で入院して3ヶ月が経ちました。医師の診断によりますと,「脳挫傷,両肺挫傷,脳内出血」で特に脳の損傷が酷く,入院以来昏睡状態が続いております。自発呼吸も出来ませんので,人工呼吸器で管理されております。この先,回復の見込みも少なく,意識が戻りましても重大な後遺症が残るか,このまま植物状態が続くか,もしくは意識が戻らず心停止に至るかは,今のところ,医師にもわからないそうです。いずれにしましても,私の復職は望むべくもなく,現在の休職状態のままでは会社に御迷惑をお掛けすることが大きいと存じます。会社にこれ以上負担を掛けることは心苦しく,この際退職させていただきたいと存じます。現在,いつ容態が急変するやも知れませんので病院から離れられません。書面にてお許しください。末筆ですが,お見舞いを頂戴しました皆様によろしくお伝えください。
 
 
【陳述書】 平成13年11月1日 裁判所に提出
 
日本では年間1万人もの人が交通事故で亡くなられているそうですが,房美も統計上そのうちの一人にしかすぎないのでしょう。
 しかし,私にはかけがいのない娘なのです。小学生から始めた水泳では選手コースまで進み,ピアノは6級になりました。中学では柔道を始めて1級になり,昇段試験を前にして練習で骨折し断念しました。高校では剣道に熱中し,2段を取り,高校剣道部主将を務め,剣道大会で優勝もしました。
 卒業後はホテル関係の仕事をしたいからと,自ら専門学校・国際ホテル学科に学び種々の資格も取得していました。専門学校在学中にもホテルでアルバイトをしながらアメリカのホテル見学にも行っておりました。専門学校を卒業すると念願のホテルに就職し,夢の第一歩を踏み出しました。4月に入社以来半年間の各部門での研修を終えて,いよいよ10月から本格的にホテル業務に就いた矢先の事故でした。 房美は小さいときから自分の興味のあることにはとことんやらないと気が済まない性格でしたので,親としては将来どのような人間に成長するのか楽しみな子でした。当初は私たちの近くに就職させ,適当な時期に結婚させたかったのですが,親のために娘の夢を曲げるべきではないと思い房美の希望通りにさせました。
 そんな夢が打ち砕かれ,命まで奪われた房美の無念さを思い,また,妻から子供達を頼むと託されながら守ってやれなかった自責の念で,私は今日に至っても悶々とした日を過ごしております。
 その妻もちょうど事故の1ヶ月前の平成10年9月19日に1年間の闘病の末に亡くなりました。入院時に医師から病名と,確立された治療方法がないことを告げられましたが,妻には告知出来ませんでした。病状の悪化に伴い,せめて最期は家族みんなで少しでも長く過ごしたいと房美を呼び戻し,休職願いを私の勤務先に提出したのですが,前日に亡くなりました。
 妻の初七日も終え,房美は私のことを心配し実家に戻るかどうか迷っておりましたが,自分の夢を捨てるなと言ってホテルへ帰しました。この時,荷物も多く最終電車に間に合わない様なので自動車を貸しました。
 しかし平成10年10月19日朝,事故の連絡を受け病院に駆けつけたときには房美の意識は既に無く,体中に点滴やモニターが繋がれ人工呼吸器だけが規則正しい音を出しておりました。医師からレントゲン写真を見ながら,房美の左肺が損傷し左脳にダメージのあること,回復の見込みが少ない事を説明されました。担当医師は外科医でしたので数日後,大学の脳外科医師の診察を受けました。その結果,確定診断は出来ないが『脳死状態』であり,いつ心臓停止になるかは分からないとのことでした。このような状態で129日間も頑張ってくれた房美を私は誇りに思っておりますが,その間の一刻一刻は,私にとりまして言葉では言い表せない日々の連続でした。
 また妻の遺骨を一人で守りながら看護実習や看護婦国家試験勉強に頑張っている次女の不安な気持ちを考えましたとき,不憫でならず無力感に打ちひしがれておりましたが,次女を1人にしてはおけず,電車や自動車で病院と自宅を行き来しました。容態が悪化したときには病室のソファーで徹夜したことも何日も続きました。不思議なことには一時容態が安定しましたので,意識が回復するのではないかとの期待もありました。意識が無くとも命さえ助かるなら私の一生をかけて看病してやりたいと思い,私の勤務先に退職願を提出しました。
 妻が亡くなってから4ヶ月間,会社が最も多忙を極める時期に欠勤して迷惑をかけてしまったことと,これから先の娘の看護に専念したい一心からの退職願でした。房美の死後は虚脱感が激しく,仕事に就くことが出来ません。
 病院の懸命な治療や私たちの祈りも届かず,平成11年2月24日静かに息を引き取りました。スポーツで鍛えたスマートな21歳の娘でしたのに,体は痩せ細りながら顔は風船のように膨れ,頭,腰,脚から床ずれで血膿みを出し,尿,便をたれ流し,目に涙をためて逝ってしまった房美のことが目に焼きついて離れません。
 次女もこの光景が頭から離れなかったのでしょう。看護婦国家試験に合格し総合病院に就職したのですが,運悪く脳外科に配属され,房美と同じ状態の患者を担当したとたんに動けなくなり,不安定な精神状態になったためわずか1ヶ月で退職してしまいました。しばらく休養し,今はやっと介護施設で働けるようになりました。
 無惨に房美の夢と命まで奪い,次女の夢をねじ曲げ,私から希望と職を奪った被告らが謝罪もせず,被告の一人に至っては事故以来未だ一度も顔も見せず,これまで通りの生活をしているのかと思うと,胸の中が掻きむしられるような思いです。
 しかし,私の取りうる手段は損害賠償請求訴訟しか無く,法律で判断していただくしかないと思います。これから出される判決の意味を私なりに一生かけて考えてみたいと思っております。
 
【追記】
 
《地方裁判所・判決言渡》平成14年5月10日
津地方裁判所伊勢支部 平成12年(ワ)第38号
交通事故民事裁判例集 第35巻第3号 667頁に掲載されています。
 
《被告ら控訴》平成14年5月29日
《高等裁判所・判決言渡》平成14年12月25日
名古屋高等裁判所 平成14年(ネ)第599号
最高裁のホームページ・下級裁主要判決情報に掲載されています。
 
【手紙】
 想像以上の判決に感謝しております。 「被控訴人は時空を越えて娘の僅かな命の鼓動に希望を持ち,一生懸命に必死になって娘の看護をした・・・」のカ所で涙がとまりませんでした。 この一文で私の心情が全て言い尽くされたと感じました。今は房美に何もしてやる事はできませんが,毎日遺影に向かって話かけております。
 
(房美さんのお父さんの承諾と希望をお伺いしたうえで掲載しています。)
 
津法律事務所: 2004/02/25
 

前へ 目次 次へ

ホーム
目次 - 交通事故被害者家族相談室

津法律事務所 弁護士喜多正達
TEL 0120-764-110
                   
 

inserted by FC2 system